皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。
現在服用している糖尿の薬が残り僅かになっている事に気付いて一昨日義兄にお願いして送って貰う事になっているのですが、3種類飲んでいる薬のひとつがなくなってしまったので彼女にお願いしてドラッグストアーにその薬のパッケージを持って行ってもらって同じものをで買ってきてもらいました。
彼女が顔して戻って来るなり大きな声で「ナッパカマハール!(凄い高い)」と言うのでレシートを見ると薬一錠が155ペソ(360円弱)もする事が判って驚いてしまいました。
薬は下痢止め以外は日本製のものしか使用した事がなく、社会保障制度が整備された日本では僅かな値段で済むので気にした事がなかったのですが、いざその薬を購入してみて日本という国に生まれた幸運を噛み締めた次第です。
そういった意味では保障が殆ど整備されていない比国で万が一病気をすると普通の人達はそんな高価な薬は買えずに病状を悪化させ早死してしまうのも頷けると同時に、彼女やその家族、そしてスタッフ達が好んで食べている極端に塩っぱい、例えば「トヨ(干し魚)」や「エットログナァプラ(真っ赤なアヒルの卵)」と呼ばやれるおかずや極端に甘いケーキやお菓子類が大好きなので今後は段階的に食の改善を試みてみようと思いました。
人間誰しもが周りに迷惑を掛けながらジワジワと死んでいく位ならコロッと逝ってしまいたいと考えているでしょうが、自分の愛する者には例え一秒でも長生きしてもらいたいと考えるのが人情です。
この記事を読んでおられる読者の皆様に於かれましては、くれぐれも健康第一に考えてお過ごし下さる事を願っております。
「決意も新たにロクデナシ修行の日々」
何の刺激もないカバナで生活していると無意識の内にキ0タマを揉んでいる自分が居る。
これ以上子を作っても養う能力もないのになぜか漢の内部に秘めた本能が騒ぎ始めているようだ。
昨日も寝ていると夢の中で過去に漢を通り過ぎていった娘達の乳房や乳首が次々と現れてきて目が覚めると真ちゃんがモッコリとなっていた。(笑)
巨乳だが触ると異常に柔らかい女や真っ平にビー玉親分の様なデカイ乳首を持つ女、胸の形は良いんだけど極端に乳首が離れている女など指紋と同じで乳首も千差満別である。
世の中巨乳好きの人が多いようだが巨乳は見る分には良いが実際にヤルとなると手に余ってしまい、個人的には適当な大きさな胸で普段陥没した乳首が興奮すると飛び出す様な奴が好みだが、子持ちばかりでブス専の漢には中々行き当たらないのが現実である。
その中でも特にツライのは歳の逝った色黒の娘と対戦している最中に脇のところやケツの割れ目が黒くなっている場面を見るとヤル気が失せるのでピーナとはバックでヤった事が無い。
自分の容姿を棚に上げて人の事など言えた筋ではないと言うのは判っているが、あくまでも願望としていつの日か理想的な娘と対戦したいと思っている。(笑)
ここからが本題、、、、、。
今日の午後、ふと一般の人とヤクザの違いを考えてみた。
田舎などに住む純朴な人々は法律など無用の世界で隣近所の人達と助け合いながら秩序ある生活を送って行けるのに対して、もしヤクザに法律の縛りがなかったら傍若無人な振る舞いで地域の秩序を乱してその街はすぐに荒廃してしまうだろう。
では一般の人とロクデナシの違いはどうだろう?
一般の人は世の中に何だかの形で貢献していると思うが、世の中の何の役にも立たない人間を総じて「ロクデナシ」と呼んでいるのだろう。
そんなロクデナシを自認する漢だが、己の所在を明かしてくだらない記事を投稿している馬鹿も珍しいと自分でも思っているが、世の中の役に立たずとも自分の生きた証を記すために恥を忍んで投稿を続けている。
TVのバラエティー番組などにも出演している中部大学総合工学研究所教授の武田邦彦氏の何冊かの著書を読んでみると地球温暖化問題や福島の原発問題など環境問題に於ける世の中の常識に逆説的な警鐘を鳴らしていて批判が相次いでいる様だが、そんな武田氏の持論は留まるところを知らず、殆どの人間(日本人)は朝起きて歯を磨いて顔洗って朝飯食って電車に乗って仕事して、酒飲んで寝ているだけで特にその間に何も考えている訳ではなく、言ってみれば人間ではなく、人間の形をしているだけでそんな人を『脳死した人』と過激な表現をしている。
又、ある番組の中で「男は50歳以上は生きている意味がない」と発言してその理由は、50歳以上の男は若い頃の乱暴さがまだ残っており、身の回りの事は何も出来ずに酒を飲んではくだらない意見ばかりを言っているからだそうだが、自分を照らし合わせると身につまされる思いがした。(滝汗)
その発言だけを見ると乱暴だがその裏側には人生を2つぐらいに分けて考えて、50歳くらいまでは目標を持って一生懸命に人生を突っ走って50の声を聞いた辺りから、朝目覚めた時に『今日もある』と思って感謝して今日だけ1日、翌日はまた1日と思って大切に日々を生きる事を言っているのであろう。
武田氏は著書の中で過激な事ばかり言っている訳ではなく、仕事に於けるプロフェッショナルの位置づけについてこう語っている。
プロフェッショナルとは「倫理を守る人」であり、プロというのは専門に対して誠実であるという事が大切である。
医者は患者さんを治すのに忠実であり、学者はもちろん御用学者じゃなくて自分の学問に忠実である。
出版社は正しい情報を供給するのに忠実であり、プロのタクシーの運転手は、客に言われたら最短コースを一番安く安全に運ぶというのが使命であり、遠回りするのはプロじゃない、それはタクシーの運転手の顔をしているアマチュアだ。
総じてプロとは?「雇われ主に忠実というより、自分の職務に忠実だという事。」それが本物のプロである。
と締めていた文章を見て感銘を受けた。
そこで既に日本における仕事の第一線を退いた漢はプロはプロでもロクデナシのプロになってやろうと思いを新たにした次第である。(苦笑)
真のロクデナシとはスケベな雑誌を見たり、人の体験談など聞いて妄想する事で満足する事なく、その得た知識を自からが体験して証明してその経験を余す事なく読者の皆様にお届けする事がプロのロクデナシではないのか?と考えた。
タイトルにある「修行」と少し大袈裟だと思うが、残された日々を心のどこかに「ロクデナシとは如何にあるべきか?」を常に問いながら生きて行きたい思っている(爆)
そんな訳で先日、釣り堀の事を記事にして人間味があるところをアピールさせて頂いたばかりだが、17歳の娘から連日のTEX攻撃を受けているので近日中に突撃しようと考えている。(滝汗)
以上。
最終章の投稿が終わり、暫く休むと思っていらっしゃる方の意表を突いて記事の投稿を決行しました。(爆)
本日も最後までご覧頂きまして誠にありがとうございました。