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Channel: イケイケ・ロクデナシひろしの激しく踏んづけて~
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「極秘帰国3日間の貧乏旅行 その①」

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皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。


日本とマニラでの荒行を終えて11月25日の夕刻にカバナに戻って参りました。


今回の荒行は先ず3泊4日で日本へ帰国して会社や家族に内緒で比国へ来て以来初めての荒行を敢行して参りました。


日本での荒行を終えて17日の深夜マニラへ到着してカバナに戻らずそのまま暗黒で過酷な修行を積みましたので順次ご報告させて頂きたいと思います。




「極秘帰国3日間の貧乏旅行 その①」




荒行から戻ると精も根も尽き果ててしまい翌日はボ~ッ~っとして動画を観たりネットサーフィンをしながら過ごしていた。


たまたま日本に居る時にパリで同時テロが発生して連日そのニュースを放送しており、マニラに戻ってからは知り合いの床山から連絡があって以前から親交のあった北の湖理事長の訃報を知って理事長との長い付き合いの様々な思い出が蘇ってきて外に出る気力が失せてしまい2日間ほど部屋に籠っていた。


日本へ帰国する度に国技館や大鵬部屋のすぐ近くにある北の湖部屋へ行ってお会いしていたが、ここ2年ほどは体調が優れずあれだけ好きだった酒も殆ど口されずとも相撲に賭ける情熱を熱く語っておられたが、その反面、女将さんや以前漢が俳優への道をお手伝いした事もある息子さんの前では相撲の話は一切しない普通の家庭の夫と父親を貫いた人だった。


理事長は昭和を代表する大横綱、かたや漢は一介のロクデナシであるが、唯一2人に共通するのは「中学校卒業」という低学歴という点でいつも話が盛り上がっていた。(苦笑)


相撲の世界は極道社会と似たところがあって親方(年寄り)を筆頭に力士、行司、呼び出し、床山などは必ずどこかの一門に所属しており所属する一門以外の関係者との付き合いは基本的に禁じられているので、理事の選出なども一門による話し合いで割当があり、元千代の富士(九重)などは出羽海一門を破門されて高砂一門に拾われたが、その事はどこまで行っても外様を意味しており、それと金の亡者で性格が悪いのも相まって国民栄誉賞をもらっていても理事選で落選する憂き目にあったというのが本当の理由である。


一方、北の湖理事長は13歳の時に北海道から両国中学に転校して卒業しているので同窓会という名目で理事長が所属していた名門の出羽海一門の以外の他の一門の関係者とも交流を図りながら協会の運営を円滑に行う努力をされたり、志半ばで相撲界を去らなければならなくなった力士などの就職先を斡旋するなど、とにかく面倒見の良くて私欲のない立派な人であった。


また理事長は去年、日本相撲協会を念願だった公益財団法人へ移行させ、元横綱の貴乃花の理事選への立候補の時も裏で懸命に動いて理事に当選させ、近い将来来貴乃花が理事長になるための布石を作ってそれまで5つだった一門を6つにするなど、一般の相撲ファンには良く判らないと思うが、暫く不祥事で荒れた相撲界の改革を断行した立役者であった。


学歴こそ無い理事長だったが「学問なき経験は経験なき学問に勝る」を実戦した偉大な方だった。



心よりご冥福をお祈りしたい。




ここからが本題、、、、。



冒頭で暗い話になってしまったが本題はいつも通りの路線で行こうと思う。


普段は比国に於けるロクデナシ行動を記事にしているが、今回は極秘で日本へ潜入して東京と名古屋で過ごした日々を何回かに分けて報告させて頂く事にする。


生まれつき怠け者の漢が日本へ極秘帰国する事ができたのはひとえにマニラ在住のMさんが飛行機の手配から日本でのホテルの予約など面倒な事を全てやって頂いた事で実現できた事で、飛行機の予約どころか電車の乗り方すら知らない漢だけは絶対不可能であった。


更に今回の旅は江戸川のKさんも行動を共にして「貧乏旅行」という名目で「いかに安くて美味しいものを食べるか」という事と彼女が働いていた店以外のピリピンパブに行った事のない漢が名古屋にある池田公園という比パブのメッカと言われる場所で荒行を行うという計画であった。


それから出発前日に日本で着るものを準備しようと思って秋物の服を持って来る様に頼むと10月に発生した水害で漢の洋服が全て水浸しになって、水だけならまだしも泥まみれになっている事が判って慌てて新しくできたSMへ服を買いに出掛けた。


期待していたユニクロはまだオープンしておらず、仕方ないのでジーパンを買う事にしたが合うサイズがあるか心配していたがダイエットに成功したお陰でウエスト36のジーパンを2本と長袖の服とパーカーを購入して間に合わせる事にした。



「貧乏旅行」と言うだけあって飛行機会社はセブパシフィックで往復の運賃は約1万5千ペソ、日本円に換算すると3万9500円という信じられない価格であり、そのせいかフライト時間はなんと早朝5時10分発の成田行きであったために前日にマニラ入りする事も検討したが、午前3時過ぎには空港に行かなければならないので、カバナから直接マニラに向かう事にして遅れては大変なので13日の夜9時半頃モーリスにお願いしてアマンと彼女の息子のポポンの4人でマニラへ向かった。


ところが道が予想以上に空いており午前12過ぎにはマラテに到着したので比国に戻ってきてからそのまま滞在する予定の安宿に荷物を預けてから「大虎」に行った。


3人には大将にお願いしてスペシャル定食とご飯大盛りを作ってもらい、漢はまだ時間があったので肴を何品か注文してキープしていた黒霧島を飲みながら大将と馬鹿話をしながら2時間ほど飲んで結構酔っぱらった状態で第3ターミナルへ向かった。


空港へ到着すると深夜にも関わらず大勢の人が手荷物検査に列をなしており、話題の「バラ(銃弾)」混入の影響でトランクをラップで巻いている人やチャックの部分をテーピングしている人がとても多かったが、何とか無事に検査を終えてチェックインを済ませて荷物を預けてイミグレを通過して煙草が吸える店で一服しているとMさんがお見えになって予定より50分程遅れて成田に向かった。


成田には日本時間で午前10半頃到着して、Mさんの後ろをひたすら追いかけて何線かは失念したが、電車乗った。


それから先に帰国しておられたKさんと途中の駅で合流して降り立った場所は日暮里だった。


日暮里駅に到着するとMさんの幼なじみの方が迎えに来ておられてその車に乗せて頂いてまず向かったのは神泉のみとやパチンコの近くにある蕎麦屋で「冷大(ひやだい)」という冷たい豚肉の南蛮蕎麦の大盛りを食べたのだが、蕎麦の大きさがうどんの様にデカくて蕎麦の風味がしっかりあってとても美味しく量が半端無いので満腹になってしまった。


昼食を終えてから御徒町の多喜屋に寄ってMさんの幼馴染の方の時計を買われるというのでお付き合いしてから、その日宿泊するホテルがある船堀まで送って頂いて「くれたけイン」という1泊なんと6800円の安ホテルへチェックインした。


「シャワーを浴びて2時間後にロビーで、、」という事で部屋に入ったが殆ど寝ていなかったのでベットに横になった瞬間に寝てしまった様で電話で起こされるまで熟睡してしまった。(汗)


その後、タクシーで瑞江という所まで行ってKさんが20年以上前から通っているというHという店に行った。


KさんやMさんから店名を出すのだけは止めてくれと頼まれているので店名は出せないが、シロモツ・ハツといった豚の内蔵の焼き物は今まで食べた串焼きの中で一番で、内緒で出してくれた豚レバーの刺身はこの世のものとは思えぬ絶品で、千枚刺し、子袋刺しや手作りハンバーグなど注文した全てのものが本当に旨くて驚いてしまった。


酎ハイも特製のエキス入りで3人で24~5杯は飲んでしまった。


それからいざお会計をお願いすると店主のご好意で全部で1万円だけしか受け取ってもらえず恐縮してしまった。


比国に居る時に楽しみにしている吉田類の「酒場放浪記」という番組を地でいく様な店に入って最上級の肴を食べて飲んでこれだけでも極秘帰国した甲斐があったと思った。


その後、本来は竹ノ塚のリトルマニラに行きたかったのだが寝不足と飲み過ぎでフラフラになってしまいホテルへ戻ってバタンキューの初日であった。



その②へ続く、、、、。






初めての完全プライベート帰国だったので、本来であれば日本での連絡先を知っているサラマさんや先日カバナまでお越し頂いたcmさん埼玉にお住まいのGさんやAさんとも是非お会いしたかったのですが3人での団体行動だったので連絡も差し上げる事が出来ずに申し訳ありませんでした。



今回で貧乏旅行のコツを少し覚えましたので次回は単独で極秘帰国して皆さんの所へお邪魔させていただき、安くて美味しい店を紹介してもらって楽しいお酒をご一緒させて頂きたいと思っております。



その節はよろしくお願いします。





本日も最期までご覧頂きまして誠にありがとうございました。

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