皆様、いつもご覧頂きまして誠にありがとうございます。
ご無沙汰してしまいました。
あの忌まわしい東日本大震災から3年が過ぎました。
震災の事を知ったのはカバナの知人達とアンヘレスの韓国食材店へ行って食材を買って車に荷物を積んでいる時でした。
偶々通りがかった日本人の方から「日本で地震が発生したそうですね」と聞かされ、その時福島県出身の人も居たのですが「日本は地震大国だから」などと言いながらあまり気にする事なくカバナへ戻ってネットで確認すると時間を追う毎に次々と被害の大きさを知らせるニュースが飛び込んできて日本へ連絡するも連絡が取れずに翌日にようやく妻と連絡が取れて事の大きさに愕然として何も出来ない自分自身に腹が立って身体の震えたが止まらなかったのを忘れる事が出来ません。
それから比国でもカガヤンデオロの災害やカバナでもその年に大洪水が発生したり、昨年も台風が直撃して大変な思いをしました。
又最近ではレイテ・セブ地方を襲ったヨランダは一夜で6千人以上の尊い命を奪い自然の脅威に人間の無力さを痛感しました。
復興のスピードがその国の政治や国力や民力によって違うのは仕方ない事だと思いますが、東日本大震災や阪神淡路大震災の時も危機管理能力に欠けた総理大臣が自民党以外の政党だった事で、その後多くの人災が発生した事を決して忘れてはいけないと改めて思った次第です。
更に世界に目を向けるとクリミア問題で欧米諸国とロシアが新しい冷戦構造生んでしまった形相を見せていますが、以前の米ソ冷戦との大きな違いは米国の力が衰退してしまい米国だけの力では国際秩序が守れなくなってきているという事です。
この事によって戦勝国が常任理事国となって自国に都合の良い国際法を作って運営されてきた国連の秩序が乱れれば、他国からの侵略は自国で守らなければならない事を意味します。
クリミア問題が長引けば長引く程、中国は自国に都合の良い解釈で尖閣や台湾を侵略する事は必至でその時に米国を頼っていては紛争に発展して国益を大きく損ないます。
先の震災で学んだ「想定外の出来事」は平和ボケした日本人に大きな警告と教訓を残してくれました。
独裁政権の隣国(北朝鮮)は間違いなく「核」を有している事は明白であり金王朝の崩壊は秒読み段階に入っているようですし、中国の驚異もすぐそこに迫っており、戦争を防ぐ意味で自衛隊による集団的自衛権の解釈の変更を一日も早く達成して米国をあてにする事なく他国が侵略してきたら一刻も早く自衛隊を派遣して侵略を食い止めて日本国民の生命と財産を守ってもらわなくてはなりません。
冒頭から堅い話のスタートで恐縮ですが、頭を切り替えてロクデナシ記事を綴って参りたいと思います。(汗)
「ロクデナシの目にも涙 その①」
普段カバナの田舎で生存している漢は身だしなみなど一切気にしないで生きている。
理由は異性を気にする必要が全く無いからであるが、先週の水曜日からマニラに出掛けるにあたって、身だしなみを整えた。
最低日に一回の水シャワーは欠かさず行っている漢は、つい最近までヒゲは毎日剃っていたのだが、肌荒れの原因になると考えて3日に一度剃るようになったら肌の調子がすこぶる良った。
マニラ行きを控えてアノ事を考えると遠足前のワクワクした少年の様な気持ちなって、自然と異性からの熱い視線を考えると身体中のムダ毛というムダ毛が気になって特に伸び放題の鼻毛や、村山富市状態の眉毛を見てお手入れの準備に掛かった。
皆さんはどうか判らないが漢の場合は、40歳を過ぎたあたりから必用な部分の毛が急激に減少して全く不必要な場所にムダ毛がドンドン生えだした。
鼻毛は若い頃から生えていたが、最近耳毛が生えだして鼻毛の必要性を考えた場合、耳の入口に毛を生やす事で耳の穴に不純物を入れない作用が働いているのだと、まだ前向きに考えられる。
腕毛は胸毛は一部の女性にとってセックスアピールと感じるらしいし、鏡をみて自分でもセクシーだと思うので何の手入れも必要ないと思っている。
困るのはチン毛で漢は他の人と違う余分な皮を持っているので、伸ばし放題にすると皮に毛が挟まって大変痛い思いをするので適当な長さに切って序でにそのハサミで眉毛も整えた。
そういえばその昔、漢が歌舞伎町のポーカーゲーム喫茶に嵌っていた時、用心棒の台湾系華僑のヤクザが暇さえあれば鏡も見ないで毛抜きで鼻毛やヒゲを抜いていた。
ただ不思議だったのはほくろから出ている長い毛だけは大切に伸ばしていた事である。
それから毛抜きで鼻毛や眉毛を抜いてもヒゲを抜いた事がなかった漢は何故かその事を思い出してヒゲを抜いてみた。
0、3ミリしか毛が出ていないのに抜くと最低3ミリ以上の毛が取れた。
中でも白髪のヒゲはそうでもないが黒いヒゲは本当に痛かった。
そんな痛みに耐えながらようやく余計な毛のお手入れを無事に終えた漢はマニラへと向かった。
ここからが本編、、、、、、、。
マニラに行く時、いつもは9時か10時にカバナを出発するのだがその日は朝6時半にモーリスとDJを連れ立ってマニラに向かって出発した。
理由はマニラのイミグレーションに行って「写真付きのカードの更新は今年からは本人が行かなければならない」といつも頼んでいるピリピン人の人から言われたからであった。
マニラへの道中は後部座席で寝ていたが、3月からトラック規制が始まったせいか驚いた事に9時過ぎにはイミグレーションに到着した。
余りにも早く到着したので朝飯を食べようと思ったがイミグレーションの周辺にはスターバックス以外にはピリピンのカンティーンしかなく、仕方なくイミグレの中に入って正面左奥にあるコピー等の商売をしている所のいつもお願いしているハゲた親父を呼んで事情を説明した。
その親父はモゾモゾと意味不明な事を言ってから一人の女性を呼んで漢を入口近くの白い壁の所へ連れて行って帽子を取れと言って髪を整える間もなく写真を撮られて200ペソを支払ってから、イミグレの中にあるレストラン脇のテーブルに戻るとその親父から「今回はカードを作るので77千ペソ」と言われたので言われるまま支払うと「午後2時に取りに来てくれ」と言われたので「俺(本人)が取りに来なければいけないのか?」と確認すると「その必要はない」と言われて、僅か10分程度でカードの更新とビザの延長手続きの全てがアッサリと終わってしまった。
(カバナの戻ってそのACR-カードを確認するとイミグレ内で撮影した写真は使用されておらず、以前と同じパスポート写真を使用したカードでした。一体何のためにマニラに行く必要があったのか?不思議でしょうがない。)
漢としては、色々なブロガーさんの「イミグレに関する記事」を拝見すると最近のイミグレは厳しくなったとか書かれていたので結婚もせずツーリストで長期滞在している漢は当然の事インタビューなどをされると思ってよそ行きの格好をしてパバナハットぽい帽子まで買って被って行ったのに少し損した気分になったが、頭を切り替えてホテルをお願いしていたパサイにあるネモトレストランへ向かった。
ネモトヘ到着したのは午前10時前で心配だったが、レストランはオープンしており、インダイちゃんに「ママは?」と聞くと「2階のトラベルにいる」と言うのでモーリスとDJに「メニューを見て朝飯を選んでいて」と言い残して2階に上がると、入口の直ぐ右側の席にママが座ってPCを見ておられたので挨拶をして料金を支払い、予約の紙をもらってから朝食を3人で食べた。
朝食を食べ終わってマラテのパールガーデンホテルまで送ってもらってモーリスとDJは2時までに新しい照明を購入するためにキアポに向かってその足でイミグレに戻ってパスポートと新しいカードを受け取ってカバナに帰るとの事だった。
モーリスとDJの二人を見送った後、フロントに行って予約の紙を見せて2千ペソのデポジットを払ったが部屋の清掃が終わっておらずチェックイン出来るのは午後2時以降だと言うのでトランクからサウナセットだけ取り出してからホテルに荷物を預けてからサウナ山忠へ向かった。
時計を見ると11時前だったので開いているか心配だったが店の前に店長が居て「大丈夫?」と聞くと「今月から24時間営業になりました」との事でそのままサウナへ直行した。
今まで定宿だったパンパシからパールガーデンに変更したのはマラテにこの山忠が出来た事が大きな要因でパンパシなら6千ペソ掛かるがパールガーデンなら2600ペソ~3700ペソで泊まれて、その浮いた費用でサウナ代やフェイシャルやフットスパ、マッサージ代がチップ込みで夕方まで楽しめるのが嬉しいし、それからヘタにいいホテルへ泊まると部屋に連れ込んだ娘達から足元を見られてしまう恐れも無くなった感じがしている。
サウナの話はワンパターンなので端折らせてもらうが、サウナで汗を流して誰も居ない休憩所の中から会社勤めをしているOLに連絡を取ってマニラに来た事を伝えるとハーフディで仕事を上がると言うので5時半に待ち合わせをしてその時間に間にあう様にサウナを出てホテルに向かった。
ホテルに5時15分頃到着すると既にホテルの前に娘が待っており、「どうしたの?」と聞くと電話を切って直ぐに仕事を上がってマラテに向かったが早く着きすぎて時間潰しにロビンソン内をウロウロしたが時間を持て余して5時前から待っていたとの話に漢のゴッドハンドとドリルボーイが余程欲しかったんだと妙に納得してしまった。
娘と一緒にフロントに行って鍵を受け取ってトランクを引いて708号室に入るとサウナから出てきたばかりでフレッシュだった漢は娘にシャワーを浴びる様に促してからトランクを開けて荷物や着替えを整理してから、ベッドに横たわりながら娘が出てくるのを待った。
シャワーを終えた娘はすぐに野獣となって漢に襲い掛かって来たが、漢も久ぶりのソクソクだったのでそれなりに応戦して一戦目を無事に終えた。
事を終えて暫くの間、世間話しながら上がった息を整えてからお互いにシャワーを浴びてから「たまにはご飯でも食べに行くか?」と尋ねると「遅くなると家族が心配するから帰る」と言うので帰りのタクシー代を渡して娘を見送ってからその足で「大虎」へ向かった。
店内に入ると大将が笑顔で迎えてくれ、冷たいビールを頼んで飲んでいるとK社長と競馬を予想されていたので2~3レース大将の予想に乗ったが運が落ちている漢のせいで尽く外れて大将に迷惑をかけてしまった。(汗)
それから酔も適当に回ってきたのでデブオさんに会いたくなってキムラに向かった。
キムラの社長もデブオさんも相変わらずお元気そうで、漢好みの美女に囲まれながら楽しく飲んだ後、デブオさんの勤務時間が終わったの暗黒喫茶に付き合ってもらった。
入口から左手の席に案内されジャックコークで乾杯して店内を覗うと以前部屋に連れ込んだ事のある負傷兵の集団がこちらを見ており、更にTEXをしながら「鴨がネギを背負ってきた」事を他の負傷兵に連絡しているのが判った。
一人で行った時ならその行動も理解出来るが、普段他の人と一緒の時はそんな事はしないのだが、その理由はデブオさんも漢に劣らずピノイ化が進んでおられ現地に染まった忍びの格好をしておられたので安心したのであろう。(笑)
当たり前だがその後、負傷兵に囲まれて飲んでいたら暗黒喫茶で初めてみる日本人ぽい顔立ちの娘が居たので軽くウインクすると、それからその娘を見る度に熱い視線を送ってくるので「デブオさんあれどう?」と聞くと「00さんと俺とは絶対にバッティングしないから安心だ」と言われたが心の中では「デブオさんは俺以上にブス専だから」と自分に言い聞かせて手招きして席に呼んだ。
その日は早くから抜くものを抜いていた漢はその娘を連れて帰ろうとうとは微塵も考えていなかった。
その時は新顔なので負傷兵達へ紹介して面倒を見るように頼もうと思って席に呼んだつもりだったが負傷兵達の無言の威圧感が半端じゃないらしく漢のそばから離れようとしなかった。
それから暫く経って、悲壮感にも似た「連れて帰って」のオーラを全身から漂わせる娘が不憫になってデブオさんと分かれてタクシーに乗ってホテルへ向かった。
タクシーに乗って暫く走ると、娘が急に苦しみ出して「どうした?」と聞くと「胸が苦しい!病院へ連れてってくだい」と言うのでタクシードライバーに慌てて「ホスピタルどこにある?」と聞くと娘が「大丈夫、お腹が空いただけ」というので、もしかしたらこの娘アディック(薬中)じゃないかとも考えたが知り合ったのも何かの縁だと考えて朝までやっている「大虎」へ連れて行こうと考えたがその日はあまり寝ていなかったので疲れてホテルの手前にあるセブンイレブンでタクシーを降りて「好きなものを買っていいよ」と言うと豚まん一ヶと小さなチョコレートをひとつだけ選んだのでそれを買ってホテルの部屋に戻った。
その②に続く、、、、。
タイトルの片鱗すら見えないまま終わってしまいましたがこの娘とは翌日にまた会う事を約束したのですがすっぽかされて3日目と最終日と都合3日間共にしました。
その後、徐々にこの娘の生きてきた過程を知る事になるのですがこの続きは次回以降にさせて頂きます。
本日も最後までご覧頂きまして誠にありがとうございました。